甘え鳴き?再開しました?
お盆休みになったものの、暑いし混んでいるしで、すっかりインドアで過ごしています。そのため、うちのワンコと同じ部屋で過ごすことの多い今日この頃~なんせ冷房は基本ワンコ部屋のみですし…。私が部屋にいるときはワンコはサークルから出して部屋内フリーにしています。
私がデスクにいるときは、わんこは定位置のワンコマットの上にいることが多く、たまによろよろと移動しながら、そのついでとばかりに、椅子の周りをグルグルするため、その都度かまっています。一方、私がロフトにいるときは、ワンコの位置からは姿が見えないためか、途中から私が部屋にいないと認識するのか(多分この辺、認知症ですぐ忘れているのではないかと思われます)、部屋のドアに向かって「ナー」とか「キュー」とか言い始めます。
甘えるワンコとかまう人
子犬の頃は、吠え癖防止のため、この声をひたすら無視し、鳴き止んでしばらくしてから声掛けをしていました。が、今は記憶のまだらなご老犬。教育的効果は今更ですし、「吠えてもしょうがない」を前提に騒音対策している現状、ワンコと私の感情および心理的な安定のためにも「甘える時が、かまい時」になっています。わんこの名前を呼びながらロフトを降りると、あさっての方向に向かって吠えていたのを取り繕うかのように「エヘヘ~」という感じで笑いながらこちらに寄ってきます。わんこを抱き上げると、しっかり体重を預けてくるため、ギュッと抱きしめたり、ポンポンと腰から背中を叩いたり、モフモフと脚、胸、頭をなでたり。そうして床に降ろすと落ち着いて静かに定位置に戻ります。
年月と可愛さの相関関係
以前、影山直美さんの柴犬エッセイで、「年老いた犬はただ可愛い」というような描写を見た覚えがありますが、その時は「ずっと飼っているワンコは、歳をとって世話が大変でも可愛い」というような意味合いだと思っておりました。しかし、実際うちのワンコが銀柴さん~影山さん曰く、歳を重ねていぶし銀の魅力を醸し出している柴犬~世代になると「歳をとるほど唯々可愛い」と思うように。
3次元空間+時間=4次元の可愛さ
理由の一つとして考察いたしますところ、わんこ自身の記憶も刹那的になって、身体も弱り、外との関りが減る分、しつけなどの義務感が薄れて、気兼ねなく甘やかせるようになっていることもありますが、更に大きな理由として、若干、赤ちゃん返りしたワンコの仕草に、今までのいろいろな時のワンコの思い出が重なり、可愛さが多重構造になっているのではないかと。なるほど、時間軸が伸びるほど可愛さが増すわけです。
あくまでも私見です。何分、夜中のテンションで書き上げたものとして、ご笑覧ください。